第76回東京大学・一橋大学対校競漕大会

東商戦について

本大会の由来

 本大会の由来は、わが国のボートが揺籃時代であった明治20年代の第一高等学校対東京商業学校の対校戦にまで遡る。当時の模様は、「東京帝国大学五十年史」並びに「一橋大学ボート百年の歩み」に明らかである。明治20年4月、帝大の第一回競漕大会の招待レースとして開催されて以来、熱狂的対立意識が時とともに激化し、ついに4回にして中止されるに至った。時は下って明治29年、この一高・高商戦は復活したものの1回にして再度中止された。その後明治32年、新たに競漕規約が成り、巳亥連合競漕大会という名称の下に競漕が行われることになったが、高商の再三に及ぶ挑戦にもかかわらず一高はこれに応じず実現には至らなかった。
 大正9年、インターカレッジ競漕が開催されて以来、東大、商大共に向島相隣して艇庫を持ち、常にインターカレッジに覇を競いつつも、この30年間、対校戦が期待されながらもついに実現されることはなく歳月を経て終戦を迎えた。そして昭和24年、わが国のボート界も次第に息を吹き返してきた中、両校の対校戦復活の機運が熟し、第1回の対校競漕大会が行われることとなったのである。
 思えば半世紀の昔、一高・高商戦として相戦った両者は、高商は東京商大となり学制改革にともない一橋大学と校名も改められ、一高もまた新学制において東大の一環として新発足することになった。この時にあたり全く新しく東大と一橋の定期戦が開始されたのは時宜を得たものというべきであろう。こうして東大一橋対校競漕大会は古き歴史の底流のの中から新しき伝統を築くべく始まったのである。
 対校競漕大会の会場として両大学の艇庫のある、同時に学生漕艇の中心として隅田川が選ばれ、4哩1/4(6840m)という川の長距離レースとして競われた。しかしながら隅田川の船舶の輻輳、汚濁等が年々進みまた新たに護岸工事も始まり、第14回大会以降、本競漕大会は戸田コース(2000m)へ会場を移すことになり今日に至っている。
 両校はスポーツマンシップの上にたって、一段とこの対校競漕大会を発展させ、ひいてはわが国ボート界の向上のためにわずかたりとも貢献することを望むものである。

過去の戦績

過去10年間の対校エイトの戦績

開催日優勝校タイム艇身
第66回H26.4.27一橋大06:10.08大差
第67回H27.5.10一橋大05:47.184艇身
第68回H28.5.1一橋大06:25.571+1/2艇身
第69回H29.4.30一橋大06:28.391艇身
第70回H30.4.29一橋大06:20.571+1/2艇身
第71回H31.4.28一橋大06:23.881/2艇身
第72回中止
第73回R03.5.19一橋大06:12:212/3艇身
第74回R04.5.1東京大06:11:142/3艇身
第75回R05.4.30一橋大06:21:91艇身

第1回からの主な戦績

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